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パリとデータマインド、ホログラム化するぼくら

体力レヴェルから睡眠パターンにいたるまで、あらゆるものを記録するパーソナルトラッキングデヴァイスは、自分を知りたいという欲望を満たしてくれる。

Originally published by: Wired Japan
 

フラヌール(遊歩者)はパリ6区、サンジェルマン・デ・プレから出発した。ドゥ・マゴでコーヒーを、そしてカフェ・ド・フロールでホットチョコレートを飲む。それからリュクサンブール公園に沿って南西に横切り、フルール通りを南下する。突然、ガートルード・スタインが住んでいたというアパルトマンが目の前に現れる。小さな表札を除けば、それはまさに匿名の家だ。

わたしはそこでちょっと足を止め、スナップ写真を1枚撮ってから、敢えて遠回りする探検へとどんどん歩を進めた。モンパルナス大通りを抜け、ル・セレクト、ラ・クーポール、ラ・ロトンドといった有名どころのカフェをちらりと覗く。まだ日は浅いし足も疲れていない。

歩数計の数値はまだまだ低い。そこでわたしはさらに街をぐるぐる歩き回ることにした。エッフェル塔を目指して北北西に進路を取る。アンヴァリッドが行く手を阻んだとき、わたしは微笑んだ。ここで方向転換すればもっと歩ける、と。

もっと歩くということはつまり、もっと歩数が増えるということ。歩数計のカウントはどんどん上昇していく。


これがわたしの生活だった。「Fitbit」を手に入れてからほんの数カ月後のわたしの生活。わたしは夜な夜なGoogle Mapsで散歩コースを検索した。新しい散歩、緑の線に沿ったぶらぶら歩き。仕事で新しい街に行くたびに、まだ開拓していない都市空間のそれぞれに興奮で胸がしめつけられる思いがした。新鮮な大地を切り開く、そうすることで歩数も稼げる。

歩くことは自転車や車で走り抜けることとは違う。スマートフォンから目が離せないわたしたちは、通り過ぎる景色のなかにある人間らしさを見逃している。しかしまさにその同じテクノロジーを使って、何年も前に親友と会った時間と場所を原子レヴェルの細かい粒度で呼び起こすことができる。時折、そのふたつの空間は衝突する──テクノロジーは「いま、ここ」というほとんど超自然的ともいえる、内面に投影された意識を生み出すのである。


Fitbitを買ったのはほんの思いつきだった。2012年春のこと、わたしはこの種のデヴァイスがどんなふうに作用するのか知りたくてそれを買った。それらが作用するということがどういうことを意味するのか、知りたかった。「Jawbone Up」、ナイキの「FuelBand」、そして今度は「Fitbit」、こうしたガジェットの空間を理解し、それが意識の内面にどう影響するのか知りたい、そんなわたしのなかの起業家精神が目覚めたのだ。

自分とそのデヴァイスとの関係はこんなふうに進行していくだろうとわたしは予想した。つまり、Fitbitを使い始めて数週間もすれば、これはなかなかの「すぐれもの」だと思い、そのうちに装着していることすら忘れてしまうのだろう、と。そしてすっかり忘れていたそんな1日が1週間になり、それが1カ月になり…最初はもの珍しくても、すぐに従順な埃まみれのテクノロジー製品に姿を変えるだろうと。

ところが、それはとんだ間違いだった。


14世紀にはダ・ヴィンチが、18世紀にはトマス・ジェファーソンが、そして20世紀には波多野義郎という日本人がいた。みな歩数をカウントすることに取り憑かれた人々だ。ダ・ヴィンチの妄想はその精神と絵のなかに表れていた。ジェファーソンと波多野はいずれも、現在知られているものとそれほど変わらない歩数計をもっていた。

ここ数十年で、記録方式は当然のことながらデジタルに移行した。たとえば2008年にゲアリー・ウォルフとケヴィン・ケリーが創立した「Quantified Self」(定量化された自己)というグループがある。「自己追跡によって自分自身を知ることへの関心を共有するユーザーとツールメーカー」からなる超コンピューターオタク集団だ。世界中に散在するメンバーは定期的に集会を開き、変化・発展する自分たちの生物測定学的方法論について議論している。

FitbitとFuelBandはこのアルファギーク空間の直系である。これらのガジェットは、定量化製品に向けた初のマスマーケット的試みではないとしても、全体論的エコシステム内で初めて着手されたものであることは確かである。とりもなおさず、これらはFacebookに連動し、データの収集と探索をいとも簡単にやってのけるすぐれた設計のインターフェイスとシステムを備えているのだ。こうしてそれらは、データマインド──かつては有能な少数の者だけの間で共有されていた──を獲得し、わたしたちすべてにそれを与えているのである。

そしてひとたびデータマインドを手に入れると、それを断ち切ることはなかなかできない。これらのデヴァイスは、アナログ的な勤勉さと極端に複雑なコンピュータ技術との間の摩擦、ちょっと前まで自己の定量化につきものだった摩擦の多くを取り除いてくれる。

仕事でニューヨークやミラノ、ニューヘイヴンへ行くと、わたしは地下鉄にも乗らず、タクシーすら逆に追い払っている自分を発見する。その夏の暑さはジメジメとしてかなりきつかったが、そんなことは関係なかった──なぜならわたしは稼ぐべき歩数をもつ男なのだから。

驚いたことに、「すぐれもの」だと思ったあの最初の感情が消えることはなかった。来る日も来る日も、わたしは従順にFitbitを服にクリップした。それにつれて、自分の意識が日に日に高まっていくのを感じた。「今日はどうやって街を移動しよう」。それは絶えず、わたしにそう自問させた。そしてあとでデータを見ながら、自分が選んだ道を追体験することができた。


ある人に有効なものは別の人には作用しない。自分の定義を理解する唯一の方法は、その定義に個人的な形式を与えることだ。こうした抽象概念をリアルなものにするには、それらの概念をある数字に置きかえるのもひとつの方法である。どんな数字でもいい。歩数はうってつけの数字だ。

「今日はどんな1日だったか」と問う。歩数はそれに答えてくれる。

1日2万歩を歩いたあとは、疲れきった安堵感という質的感情を理解するようになる。一方で、のらりくらりと5,000歩しか歩かなかったことによってもたらされる苦悩も知る。

これらのシンプルな数字、精神、肉体の関係性のなかに悦びが見いだされる。それは意識における実りある変化だ。


この散歩のすべてを通して、わたしはあるホログラムのことを考える。パリのカフェやミラノのバール、ニューヘヴンの密かに有名な安ピザ屋の先に、またイーストヴィレッジの気のいい縮れ毛の仲間たちの傍らに、わたしはこのホログラムを見る。『スター・ウォーズ』に出てくるような、別の時空からのメッセージを運ぶぼんやりとした映像。

わたしは自分たちがした数々のチェックインを、食べたものの写真を、タグ付けされた友人たちのことを考える。歩いた歩数を、稼いだ「Fuel Point」を思う。無数の、ほとんど終わりのないデータの連続を考える──いまは積極的に収集されていても、そのうち徐々に受動的になっていくであろうデータを。これらすべてを考えるにつけ、遠いどこかに投影されたひとつのホログラムを見ずにはいられない。何マイルも離れた、何年もの時を経た、何かの、誰かの復元であるホログラムを。

そのホログラムとはいったい誰なのか?


パロ・アルトのちょうど西側に山岳地帯がある。ある日わたしはその山にのぼり、その夜、祈るような気持ちでFitbitを確認した。午後9時だった。それはわたしが現時点で階段を96階分上ったことを示していた。

迷いはなかった。とにかく数値をぴったり“100”にしなければ。ひとつ問題があるとすれば、それはパロ・アルトが平地だということ。

ぐずぐずしている暇はない、カウンターは深夜0時でリセットされてしまう。大急ぎで思考を巡らし、唯一思いついた階段を目指して猛ダッシュした。メキシコ料理レストランの「Reposado」だ。わたしはこっそりと裏口にまわり、裏手の階段を上から下まで大急ぎで4往復した。上り下りするごとにFitbitをチェックし、ちゃんと記録されているかどうか確認した。レストランのスタッフが怪訝そうに私を見つめていた。

気が狂ってる? まったくその通り。街を歩きまわった挙句、階段を4往復、駆け上がり、そして駆け下りた。ひとえに、小指ほどの小さな黒いゴム製のLED画面に“100”と出るのを確かめたいがために…そうでもなければやらなかっただろう。

Fitbitに全エネルギーを集中し、それに身を捧げれば、こうした奇妙な場所にも快楽を見いだすことができる。たとえば会議の場所が3階ではなく6階で、エレベータが故障していると気づいたとき。そんなときの、あの興奮に包まれた危機感。楽しさよりも得てして苦痛の方を伴うクロスタウンミーティングの最中、「こんなことしている間にソーホーまで歩けば、ゆうに6,000歩はあるだろう」と考える。と同時に、それが自分の週間平均値にどう影響するかを頭の中で計算していたりする。

わたしは裏手の階段を上から下まで大急ぎで4往復した。上り下りするごとにFitbitをチェックし、ちゃんと記録されているかどうか確認した。レストランのスタッフが怪訝そうにわたしを見つめていた。


かつてこんな時代があった。ある人が死ぬと、そこに遺されるのは段ボール箱とファイルキャビネットだけ。所得申告書やレコードプレーヤーのレシート、いまやとっくに大人になった子どもたちからの手紙、イヤーブック、すり切れた靴…そこにはその人の匂いがあり、布の感触があった。おそらくそれによって、その人がどう生きたかを理解する。その理解がどれほど薄っぺらなものであったとしても、それは確かにそこに存在し、データの中に、所持品の中に、埋め込まれていた。一塊に集められた物質的な遺品、それがひとつの人生を縁取る。

わたしは自分たちのデータ収集のなかに、自己保存という要素を見ずにはいられない。数々のチェックイン、食べたものの写真、トラッキングした歩数、マッピングした走行ルート、それらの内部に深く埋め込まれた保存。わたしたちは、以前には考えられないようなデータ収集をしているのだ。

昔はコレクションといえば個人的にするものだった。死ぬときにその人が持っている物質的な所有物は、おそらくその自己の理想化を構成する。これらの所有物は、しかしながらどんなときもネットワークにつなげられることはなかった。そしてそれらは物理的に制限されていた。つまり、それほど多くのものを収集することはできなかったということ。クローゼットはいっぱいだし、ものは朽ちるし、人は移動するし、宝物はなくなってしまう。

いまやコレクションに限界はない。スペースはほぼ無限大。集められたあらゆるアイテムがネットワークにつなげられる。こうしてその自己──その理想化──は突如として、素早く遠くへ流出していく。そしてそれは他の自己、他の理想化に触れる。しかもその自己は、データマッパーたちによって再構築することができるのだ。

「その自己はデータマッパーたちによって再構築することができるのだ」。そう考えるのはなんて奇妙なことだろう。しかしそれは真実なのだ。

それはもはや、単なる人生の縁取りとか、雑多な、寄せ集められた物質性というだけではない。走りのミリ単位の精密さであったり、「ヘイ・ジュード」が再生された回数であったり、『ハリー・ポッター』を読むのに費やされた分数であったり、ヴァージョン管理システムによって遡れる、あるエッセイの起源であったり…。

わたしたちの自己を構成する“コレクション”は、どれほど具体的で、どれほど創造的になっただろう。まだ完全にとはいえないまでも、以前よりもかなりそれに近づいてきた。わたしたちはそれらのコレクションを再生する──文字通り、タイムラインをスクロールアウトする。さまざまな思考の、高精度GPSの、タイムコード化されたデータの一生。別の時空間から投影された、透明でとぎれとぎれの、わたしたち自身のホログラム。それらは、すり切れたレコードや埃まみれの映画フィルムのリールのように、そこかしこの断片がなくなってあちこちに話が飛ぶ。しかしどんなにすり切れていても、どんなに話が飛んでいても、それらは確かにわたしたちなのであり、日を追うごとにその解像度は上がっていく。

そんな具合に、わたしはそこにいた。パリの街に、寸分の狂いもない完璧な初夏の午後に。

ホテルの外に立つ。濃青色の空に太陽は高い。そしてわたしは、ヘミングウェイの後を追ってあの華やかな街を横切り、あの裏道まで歩いて行き、それからさらにエッフェル塔へ向かったのだ。それ以外データマインドに何ができただろう?


paris from above
Paris from the Tower

エッフェル塔のふもとに辿り着くころには、歩数計はもちろんとてつもない数値になっていたはずだ。塔に登る方法は2つ、長い列に並んでエレベーターに乗るか、それとも待たずに階段を上るか。わたしは喜んで料金を払い、心を弾ませながらも慎重に、鉄の階段を跳ねるように上り始めた。浮かれすぎて歩数がカウントされないといけないから。

塔の最初の階に到着し、それから次の階まで上り、そしてついにエレベーターに乗った──これに乗らなければ頂上に行けないのだ。ああ、眼下に広がるパリの街を見渡したときのわたしの悦びたるや!

街を見下ろしながら、わたしはこれまで歩いてきた道筋を頭のなかで辿った。カフェからカフェへせわしなく渡り歩き、ちょっと立ち寄ってはコーヒーやホットチョコレートをすすったわたしの冒険の当初、スタッカートのように刻まれていったであろうデータに思いを馳せた。そしてガートルード・スタインのアパルトマンの前に佇んだときの、データのソフトな凪を。突き動かされるようにエッフェル塔のふもとを目指したことを。わたしの活動グラフの線は、水を買うために少しだけ立ち止まったときの、たったひとつの小さなくぼみで中断されているだけだ。そして最後にこの階段──エッフェル塔に上るこのすべての階段。もはや、あのレストラン「Reposado」で出した自己記録を更新したに違いない。

わたしは合計歩数を想像した。投影された私のホログラムの小さな隅を。どうやってその合計データを振り返ろう。今日、その異常なほどの値にどれだけどきどきするのだろう。そしてどうやって微に入り細に入りこの散歩を回想し、それを再生しよう…。

実際の数値がどうなっているのか早く知りたくて、わたしは右のポケットを探った。

空っぽだった。

空虚感のあとに不安が襲った。

不安のあとに否定がきた。

もう片方のポケットも探ってみた。バッグの中も探した。そして、腹に何かがドスンとあたる鈍い音とともにわたしは思い出した。部屋を出る前にズボンを穿き替えたのだ。Fitbitはホテルの部屋の中だった。1mmも動くことなく、何も記録することなく、昨日まで穿いていたジーンズにしっかりとクリップで留められて…。

その午後、見上げるとそこには、塔からいまにも落ちそうなほど意気消沈している男を見たことだろう。なくしたデータのすべて、それはわたしのなかの保存主義者を引き裂いた。わたしのホログラムは、それでもなんとか不完全なかたちを描き出していた。データマインドの中断された流れ…。

わたしの中のもうひとりのわたしは、ホテルまでタクシーを飛ばしてそれを取りに行きたいと言っていた。Fitbitを取りに行って、装着して、もう一度最初から歩き直したい、すべてをやり直したいと。忠実に再現し、リマップして。エッフェル塔の階段をもう一度登り、それに根拠を与え、天空の下でそれを現実のものにしたいと。しかしすぐにわたしは気づいた。それがどんなに馬鹿げたことであるかと。その代わり、反り返って伸びをした。

わたしは微笑みながら、パリの街が長い夏の黄昏に照らされて、金色に染まっていくのを眺めた。そして、そんな1日であったがゆえにその日を享受した。これまでいつもそうであったように、それはわたしの心のなかだけに存在し、いつかは忘れ去られてしまう、二度と復元することのできない、儚くも見事な散歩だった。

#クレイグ モド

作家、デザイナー、開発者。2011年、iPhoneアプリ『Flipboard』のプロダクトデザインを手がける一方で、作家としてMacDowell Colonyライティングフェローに選ばれる。2012年にはIT起業家としての業績を認められTechFellow Awardsを受賞。また出版シンクタンク「PRE/POST」を設立し、紙と電子の本をプロデュースしている。現在はエヴァン・ウィリアムスらが立ち上げた「Medium」のアドヴァイザーや、スマートフォン用ニュースアプリ『SmartNews』のUIデザインアドヴァイザーなどとして幅広く活躍している。近刊に『ぼくらの時代の本』〈訳=樋口武志/大原ケイ、ボイジャー〉。2月27日(金)には、「ぼくらの時代のデザインと技術」と題し、閑歳孝子(Zaim)、林千晶(ロフトワーク)とのトークセッションに登場。詳細はこちらより。

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